南北戦争の始まり

軋轢が生じていた

アメリカ南部による強烈な奴隷制度、ナット・ターナーの反乱を堺により強固なものとなっていった。それは全米で広がったかといえば、全く相反する価値観が存在していた、それがアメリカ北部の存在です。黒人達による社会的な偏見や差別がすぐに消えることはありませんでしたが、特徴的だったのは奴隷制度を『完全撤廃』した点だ。決断した背景にはヨーロッパ、主にイギリスからの工業製品の輸入が途絶えてしまったことが関係している。このままで行けないとして北部では工業化が進行し、固定化された労働力よりも流動的な労働力を欲するようになっていった。こうした産業の変革が奴隷制度には適さなかったため、また奴隷制度を有してもデメリットしかない事を考えた上で北部では着々と奴隷を廃止していこうと動き始めたのです。

それに乗じて工業製品はヨーロッパよりも高い競争力を有していたため、保護貿易をするべきだという意見が増え始めた。そうした考えに南部は当然とばかりに反発し、奴隷制度は維持するべき、自由貿易を維持し続けるべきだとする相互不理解が深刻な問題となっていきます。

これにより、奴隷制度存続を訴えているアメリカ南部の11州が『アメリカ連合国』を結成し、アメリカ北部計23州の『アメリカ合衆国』という対立とした『南北戦争』が開幕した。結果から言えば北部勢のアメリカ合衆国が勝利を収め、終戦した1865年にはアメリカの奴隷制度問題において、一つの転機が生じます。

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戦争の結果

南北戦争の経緯について改めて見る必要もないだろう、問題とするべきはこの戦争によってどの程度の被害が生じたかだ。人的被害はもちろん、戦闘による破壊行動でどのような打撃を受けたのかを考える必要があります。南部が奴隷制度の存続を求めるため、それが叶わないのならば自分たちの独立を認めよ、詰まるところの本音はそこだ。しかし北部の、時の大統領などは容認しなかったために、大規模な内乱へと突入していく。

大まかにまとめると、およそ4年間続いた戦争によって生じた結果、人口流動のみならず産業面においても北部と南部の双方に多大な負担をもたらした。

合衆国 連合国
人口 1860年 約2,200万人 約900万人
1864年 約2,900万人 約300万人
奴隷 1860年 約40万人 約35万人
1864年 ほぼ0 約19万人
工業生産 1860年 90% 10%
1864年 98% ほぼ0
綿花 1860年 ほぼ0 約450万
1864年 約30万 ほぼ0
輸出 1860年 30% 70%
1864年 98% ほぼ0

人口や奴隷の数もそうですが、南北戦争により南部のアメリカ連合国は僅か4年という歳月の間でそれまで築き上げてきた産業の大半を喪失し、ほぼ全て北部による独占状態を許してしまったのです。ですがこれは北部も予想していたことだったのかもしれない。それこそ輸出によって得られる利益のおよそ7割近い収支は、軽くないのは明白だ。綿花に至っては北部での生産は全く無い状況からの立て直しとあって、内乱をしながらも自国の均衡が揺るがないようにとするアメリカ合衆国側の負担が見えてくるはずだ。

死者の数

またこの戦争によってさらに考えなくてはならないのが、内乱による死者の数だ。敗北した南部のみならず、北部もまた甚大な被害をもたらしている。戦死者だけでも、

これだけの数が確認されている。戦争の影響による病死、あるいは負傷による死者など、南北関係なく統計すればこの内乱によって命を落とした人の数は、およそ90万にも及ぶと目されています。ここまでの被害が広がり、その果てに黒人たちの自由が確立されたかといえばそんなことはなかった。

それは現代を見てもらえれば明らかであり、むしろ白人による黒人への蔑みに益々拍車をかけてしまったと解釈した方が一番適切かもしれません。

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北部による思惑

南北戦争はその気になれば北部の圧倒的勝利で勝利することは可能だった。けれど北部は開戦当初、南部と争う気はあまりなかったと言われている。それを象徴してか、開戦した直後に北部の将校たちが南部に協力するという、裏切り行為が多発してしまった。ただそれでも北部が優位に立ち振る舞えていたのは、近代化の進んだ工業により兵士や食料、武器といったものの運搬面をより効率よく運用していけた。

しかしそれでも北部にしても南部を鎮圧するという方向性ではなく、連れ戻すといった意味合いで戦っていたがため、被害の拡大を意図的で無くとも助長してしまったと言える。南北戦争とは何だったのだろうと、100万人近い国民が命を落としても奴隷はもちろん差別すら無くならなかったのだから、負の歴史と揶揄されても仕方がない。

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