差別に終止符を打った功労者

奴隷制度は廃止されようとも

南北戦争により100万という命が失われましたが、同時に奴隷という存在がほぼ解放されていなくなっていったのも事実。それだけリンカーンが遺した奴隷解放宣言の効力が高かったということだ。即効性はなくとも、じわじわと効き目を及ぼす薬のように浸透していき、黒人が平和に暮らせる社会へと着実に変容していったのです。表沙汰には奴隷こそなくなったものの、黒人に対する風当たり・差別は非常に強かった。調べて見るだけでも、妊娠している黒人女性がバスに乗っていると妊婦であるにも関わらず黒人だからと席を譲れと白人男性に強要されたという話も耳にしたことがあります。

ハリウッドに根付く人種差別もそうだが、白人たちにすれば自分たちこそ優位すべき存在であると自負していた。親から子へ、その思想は伝播されていき、教えこまれた子供は成長すれば人種差別しても良いと思うようになる。これほどの負の連鎖もないだろうが、そうした流れを断ち切るという意味でリンカーンに続く黒人差別が不当であるとする考えを呈した人がいます。

英語圏の勉強をしている人はまず間違いなく学ぶ事になる『マーティン・ルーサー・キング・ジュニア』こと、『キング牧師』だ。彼の事を語らずして人種差別、ひいては奴隷制度を語る事は出来ません。

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差別されることに対して

キング牧師の存在は重要だ、どういう意味かといえば『人種差別に対する考え方に終止符を打った』、という面でだ。無くなってはいないが、キング牧師の登場によってそれまで法律上で暗に容認されていた黒人への差別を本当の意味で廃止させたのだ。建国から200年という時間を掛けて、エイブラハム・リンカーンも目指したが成し遂げることが出来なかった目標を成し遂げたのです。そういう意味で、彼こそ希望だと語る黒人も少なくはないでしょう。リンカーンを尊敬している人もいますが、キング牧師はあくまで『牧師、あるいは指導者』として活動していただけだ。政治の世界に深く関与することになっても、自身が政治的な動きを見せなかったことからもその行動力は高く評価されています。

そんなキング牧師にとっても差別は身近なものでした。幼少期には白人と遊べてもその母親から遊ぶなと言われる事もあれば、学生時代においてバスの席を譲れと命令されたことなどあるという。ただそうした逆境の中ですらキング牧師は揺るがされること無く、確実に学を身に着けていったのです。進路を決める際には自身の出自にも繋がる聖職者になろうと決意するなど、本当の意味で清廉潔白な人物へとなっていった。

ちなみに彼がボストン大学に在学していた当時、飲食店で白人の店員がキング牧師が黒人だからという理由で注文を取りに来なかった事があったという。ただボストンでは人種差別に対する行為は刑罰に値するものだったため、その白人は問答無用で現行犯逮捕された。ただ南部出身のキング牧師にすれば、当たり前のように人種差別をしたのに逮捕される白人ほど衝撃的だったと驚いたという話もあります。

南部と言うと苛烈な人種差別が容認されているので、キング牧師にすれば北部はまさに異世界とでも呼ぶべき場所だったのかもしれません。

人権を求めて

南北だけでなく、人それぞれの価値観によって異なる人種への偏見や差別は、リンカーンの奴隷解放宣言でも取り除くことは出来なかった。黒人を容認することは出来ない、そうした施設や公共機関も多く、奴隷で無くなっても彼らに与えられる自由はやはり矮小のものでしかなかったのです。

そんな人種差別が黙認された社会である事件が発生する、それはキング牧師が牧師として活動を始めてから1年が過ぎた頃、モンゴメリーにて発生した黒人女性の『ローザ・パークス』が白人に席を譲らなかったために逮捕されてしまった。これを耳にしたキング牧師は怒りを隠せず、またその仕返しとばかりにある計画を実行に移します。それが『モンゴメリー・バス・ボイコット事件』だ。

事件概要

この運動では何も白人に対して報復を行うといった過激な事を行うのではなく、モンゴメリー内における公共機関として動いていた市のバスに乗船しないといったものだ。キング牧師を始めとした人々の要請には意外なほどに市民の多くが賛同し、バスに乗らなくなってしまいます。この運動によって市は本来得られるはずのバス事業の収支が財政破綻寸前まで追い込まれることとなり、危機に瀕するようになったという。

運転手にしても容認されていた人種差別をしただけなのに、自分のせいでここまでの事態に発展するなど予想もしなかったはずだ。この事態を受けて連邦最高裁判所は地方裁判所の判決を師事する形でモンゴメリーの人種隔離政策は違憲であるとの判断を下すまでになった。

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ナット・ターナーと比べて

このようなキング牧師の行動を見てみると、ナット・ターナーの反乱を思い出す。行動こそ違っていますが、黒人の人権を守るという意味では双方共に共通している。ですが発起した当初におけるルールや行動、そして拡大化していく中でもやり過ぎないようにするといった横のつながりでは天と地ほどの差だ。ナット・ターナーはそうした暴動とかしてしまった一段を制御することかなわず処刑されてしまった。

対してキング牧師を始めとした方々はただ、バスに乗らないでいるだけでいいというルールを守り、それ以外の行動をしてはいけないと定めていたからこそ、血を見ること無く完全勝利を果たした。もしナット・ターナーがキング牧師たちのように反乱を制御できてさえいれば、まだ黒人の奴隷や人種差別に対する歴史も変わっていたのかも知れません。

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